ストライクノワールってナニ

先日、息子にせがまれてガンダムのプラモデルを買いに行った。ガンプラと言うそうだ。プラモデル店に行ってみて驚いた。ガンダムのロボット、イヤイヤ、息子に言わせるとモビルスーツと言うそうだが、なんと種類の多いことか。これでは、モビルスーツ門外漢のオジサン一人で行ってはどれを買っていいやらわかりかねる。息子は自分のお目当てのモビルスーツを探していたようだが、どうも見当たらない様子。お目当ての名前を聞き出すと、ストライクノワールガンダムだそうだ。私は早速、店員さんに、在庫があるかどうか聞いてみた。結果は売り切れだった。涙目の息子を何とか慰めて家路に向かう。必ず見つけて買ってあげるから泣かない事を約束させる。調べてみると機動戦士ガンダムSEED C.E.73−STARGAZER−に出てくるストライクガンダムの改良機とある。ファントムペインに所属し、スウェン・カル・バヤン中尉が搭乗する機だという。近距離、中距離、遠距離の戦闘がオールマイティで可能だそうだ。

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ガンダムは低視聴率番組だった

今から30年以上前に機動戦士ガンダムの第1回テレビ放映された。もっと詳しく言うと1974年4月、毎週土曜日の夕方5時半からテレビ朝日系列で放映された。残念ながら視聴率が余り良くなかった。予定していた放映回数は50話を超えるが、43話で放映は打ち切られた。視聴率が不調だったからだ。なぜ今もこんなに人気のある、機動戦士ガンダムが視聴率が悪かったのだろうか。当時の放映時間夕方5時半から見ていたちびっ子諸君には少し作品レベルが高かったようだ。戦争を通して若い青少年、少女達の心の葛藤や駆け引きを理解するのは困難であったろう。当時のちびっ子達は悪いやつらを正義の味方がコテンパンにやっつけるようなロボットアニメーションが見たかったのだろう。ガンダムの主役達や彼らを取り巻く人物の心の成長を楽しむ事のできる年齢には達していなかったようだ。それだけガンダムの作品レベルが高かった、という事が言えるだろう。もう少し上の年齢層をターゲットにしたほうが良かったのかもしれない。

ガンダムブームは続く

今も子供達だけでなく、1980年代にガンプラに夢中になっていた中学生も高校生も今では中年のオジサンにまでいまだに人気のあるガンダム。第1回ガンダムのテレビ放映は43回で終わってしまったが、この作品のレベルの高さを理解したファンは少なからず存在していた。アニメの専門誌などでは高く評価されていた。放送が終わってからもガンダムの人気は落ちなかった。1980年に入って再放送された。今度は順調で高視聴率だった。ここに有名なバンダイさんが参入して来る。1980年の夏に初のガンダムのプラモデルを発売した。放送が終わってからのプラモデルの発売はかなり珍しい、のるかそるかの賭けだったろう。見事にバンダイさんはこの賭けに勝利し栄光を獲得した。バンダイさんおめでとう。これがガンダムブームという社会現象になった。ガンプラは大ヒット商品となった。1981年から劇場版ガンダムが公開されると、徹夜で待つファンやガンプラを買い求める長蛇の列が日本中で見られた。

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